高島武彦 の 東京23区入門

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新宿区

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新宿区(しんじゅくく)は、東京都の特別区のひとつ。東京都の都庁所在地である。

東京都に23ある特別区の一つであり、23区の中央やや西側に位置する。千代田区・港区・中央区の「都心3区」に新宿区と渋谷区を加えて「都心5区」と言われることがある。かつての35区が22区(のち23区)に移行した1947年に発足した区であり、行政機構としての歴史は比較的浅い。また、牛込、四谷、淀橋の3つの区が「寄り合い所帯」となって誕生した経緯から、個性に富んだ地域が区内に点在する。

1991年より東京都庁は同区に位置しており、自治体として見た場合は「東京都の都庁所在地」に該当する。ただし、新宿区を含む23特別区地方自治法において他の46道府県庁所在地とは異なる「特別地方公共団体」とされており、通常の市町村(普通地方公共団体)と同格に扱われていないため、国土地理院発行地図を始め都庁所在地の地名は慣例的に「旧東京市の後裔たる東京都区部の総称」として「東京」と表記されている。

古くは甲州街道の通り道として栄えた新宿駅周辺は日本有数の繁華街が形成されており、新宿駅は鉄道各路線のターミナルのため昼夜の人口増減が特に著しい。また新宿駅西口に位置する西新宿は東京でも有数のオフィス街であり、超高層ビルが林立している。新宿駅南部は新宿御苑明治神宮外苑があり緑が豊富である。また都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた北部の落合地区は住宅地となっている。本来、山の手とは新宿区内を中心とした高台(武蔵野台地)を指す。

甲州街道沿いの街、宿場の街として江戸時代以降から繁栄を見せた四谷地域(旧四谷区)。四谷見附から新宿駅東口の手前および信濃町駅周辺までが四谷地域に該当するため、警察署や消防署、公立学校の学区域も四谷地域の施設を利用することになる。

江戸時代にかけて田園の住宅地として都市開発され、明治時代には既に成熟した住宅地として機能してきた牛込地域(旧牛込区)。牛込地域は住居表示未実施がほとんどであり、戦災被害が比較的軽かったため古くからの町並みが再開発の手から逃れているなど、様々な面で都内を代表する保守的地域であると言える。神楽坂、市谷、早稲田と呼ばれる地名は全て牛込地域内である。

このほか、早稲田大学東京理科大学など大学・学校も多い。慶應義塾大学病院東京医科大学病院東京女子医科大学病院などの大学病院、国立国際医療研究センター戸山病院などの大病院も集積している。また、新宿区は都内で最も外国人登録者が多い区である。外国人のなかでもとりわけ、中国人と韓国人が多数居住している。[4] 特に大久保、大久保駅新大久保駅周辺から職安通りにはコリアタウンをはじめとする、外国人コミュニティが形成されている。新宿区の人口の1割が外国人とされる[5]。新宿区の発展に伴い、東京都庁防衛庁(現防衛省)などの官公庁も移転してきた。

このように、商業地と住宅地、歴史ある地名と再開発地域、多国籍といった、まさに大都市の光景を縮図にした性格を新宿区はもっている。

1970年辺りまでは、「若者の街」、「若者文化の流行の発信地」といえば、新宿だった。しかし、1973年に渋谷でPARCOの開店があり、日本における若者文化の歴史が大きく変化。その流れは「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」と移り変わっていく。

 

北区

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東京都北区


東京23区の北部に位置し、東西に約2.9km、南北に約9.3kmと南北に細長い形状で、面積は20.59平方キロメートルと東京23区中第11位。

北は荒川および荒川放水路を隔てて埼玉県川口市戸田市に、東は荒川区隅田川を隔てて足立区に、西は板橋区に、南は文京区、豊島区に接する。尚、区南端から台東区の区界までは100m程の近距離にある。

田端の大部分と中里の一部はJR山手線の内側に位置する。都県境に接しつつ山手線内のエリアを共有しているのは、23区では唯一である。

明治通り、環七通り(東京都道318号環状七号線)、環八通り(東京都道311号環状八号線)、中山道本郷通りという幹線道路が通っており、都心へのアクセスは比較的便利である。また、JRの駅数が23区中で最も多く(10駅)、区内のほとんどの住宅地が駅からの徒歩圏内にある。

北区は地理的に概ね、東北本線を境に南西側は武蔵野台地の北東端にあたり、北東側は荒川の沖積平野にある。

 

 

品川区

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品川区

2019年(令和元年)7月1日時点の統計で40万人を突破した。1964年(昭和39年)をピークに減少が続いた後、1998年(平成10年)から上昇へ転じた。

東京都区部では南寄りにあり、西は山の手台地、東は東京湾に面する。区域は東海道の旧品川宿を含む[3]。
・台地と低地があり、東部は東京湾東京港)に面する埋立地である。
・台地は目黒川の北に芝白金台、目黒川と立会川の間に目黒台、立会川の南には荏原台がある。どれも武蔵野台地の末端である。
・低地は品川地域や大井地域および川沿いに広がっている。

 

 

 

葛飾区

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葛飾

葛飾区(かつしかく)は、東京都の特別区のひとつ。

区内には、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズで知られる柴又帝釈天や、江戸期の菖蒲文化を伝える堀切菖蒲園秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で有名になった亀有(亀有公園はあるものの公園前に派出所(交番)は存在しない。最も近い実在の交番は亀有駅北口交番)がある。

かつては工業が盛んな地域で住宅地の中に小さな町工場が点在し荒川の土手に上がると無数の煙突が黒い煙を吐き出しているのが見えた。典型的な下町の風景であった。現在では工場跡地が集合住宅や商業施設に変わり、山の手の風景とあまり変わらない街に変わりつつある。

 

江東区

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江東区は、東京都の特別区のひとつ。

東京都の東部、隅田川と荒川に挟まれた位置にあり、東京湾に面している。

江戸時代に埋め立てが始められた地域であり、江戸の東端にあたり、深川地区(旧深川区)には富岡八幡宮をはじめ神社仏閣が数多くある。区内陸部は古くから住宅地および工業地域として、亀戸には鶴亀の亀戸天神社、また錦糸町駅南側は遊興地域として発展してきた(ただし、錦糸町駅およびその南部は首都高速7号小松川線まで墨田区である)。また、区周辺部、特に臨海副都心や南砂地区などは大規模マンションや医療・福祉施設の建設が相次いでいる。豊洲地区や夢の島地区には子供向け施設が充実し、近年はマンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。同様に、保育園も不足する事態に陥り、待機児童が増加している。

区内西部(東京市深川区に相当)は関東大震災および東京大空襲などを経て区画整理がされている。

 

板橋区

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板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。人口約58万人。

おおむね旧板橋町、旧上板橋村、旧志村、旧赤塚村の4地域に分かれるが、他に南部(板橋)と北部(志村)の2地域分類、板橋・志村・赤塚の3地域分類、板橋・上板橋(常盤台)・志村・赤塚・高島平の5地域分類もよく使われる。板橋区において地域の分類は便宜的なものでしかなく、受け持つ行政機関によって異なるのが現状である。

例えば、通常の板橋地域(旧板橋町地域)と上板橋地域(旧上板橋村地域)とあわせて広義の板橋地域(板橋区南部地域)とすることも多い(警察、郵便、消防、土木、公園、水道、福祉など)。また、上板橋地域を常盤台地域と呼ぶ場合もある(都市計画など)。

また、通常の志村地域(旧志村地域)と赤塚地域(旧赤塚村地域)とあわせて広義の志村地域(板橋区北部地域)とすることもある(消防、土木、公園、水道など)。これは歴史的に、志村地域に設置された行政機関が赤塚地域も含めて担当することが多かったためである。

かつての徳丸ヶ原に相当する高島平、新河岸、三園を高島平地域として独立させる場合もある(都市計画など)。これらの地域の大半は旧赤塚村のため、通常は赤塚地域に含むが、志村地域に含む場合もある(福祉など)。逆に西台、中台、若木などの西台地域を赤塚地域に含むこともしばしばある(福祉など)。

さらに、志村地域の内、坂下、蓮根、東坂下、舟渡などの地域を蓮根地域あるいは坂下地域と呼ぶこともあり、西台地域を除く志村地域と合わせたり(福祉など)、高島平地域に含める場合もある。

赤塚地域は埼玉県南部とともに近郊の風景を残している。区では赤塚に支所を設け利便を図っている。しかし区が南北に分かれてしまい、行事も板橋区民祭り・板橋農業祭りと二本立てになっている。

 

杉並区

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杉並区(すぎなみく)は、東京都の特別区のひとつ。

元来この地域は武蔵国多摩郡であり、江戸時代から明治・大正時代も多摩地域に属していた。地理的に東京都区部の扱いになったのは、1929年(昭和4年)の世界恐慌後に東京市編入されてからである。

東多摩郡西半にあたり、城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置する。面積は34.02平方キロメートルで、東京23区の中では8番目である。自然が豊富な、閑静な住宅地域として発展してきた。JR中央線沿線(高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪西荻窪駅周辺など)を中心として、地元住民だけでなく区外からの来街者を想定した個性的な中小店舗群も集まっている。

東京都内の6区市と隣り合う。北は練馬区、東は中野区、東南でわずかに渋谷区、南は世田谷区と隣接。西側には武蔵野市三鷹市が位置する。

地形的には武蔵野台地上にあり、全体的になだらかな高台地域。特に高台に沿って、古来より甲州街道、青梅街道が南北の区境近傍に東西に通っている。