高島武彦 の 東京23区入門

高島武彦(たかしまたけひこ)の 東京23区入門 へようこそ!

墨田区

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墨田区

墨田区(すみだく)は、東京都の区部東部に位置する特別区

「おいてけ堀」など「本所七不思議」は、昔の墨田区付近が舞台である。また、大相撲が催される両国国技館が立地することでも著名である。

押上・業平地区では、自立式鉄塔としては世界一となる高さ634mの地上デジタル放送用タワー、東京スカイツリーが2012年5月に開業した。観光と防災都市のシンボルにし、世界一の観光都市を目指すという。

東京都の東部の区であり、西の区境は隅田川と東の区境は荒川および中川に挟まれた位置にある河川に挟まれた町である。水の郷百選に選ばれている。区東部の地域は海抜ゼロメートル地帯となっている。

 

 

 

豊島区

豊島区

豊島区

豊島区(としまく)は、東京都の区部北西部に位置する特別区

東京23区の西北部に位置する。池袋駅を中心とする副都心を擁し、サンシャインシティや豊島区役所などの超高層ビル群が建ち並ぶ。

区の中心は地理や行政・民間ともに池袋地区で、2020年7月には旧豊島区役所跡地周辺に超高層ビル・Hareza Tower と東京建物Brillia HALL をはじめ8つの劇場を含む文化にぎわい拠点「ハレザ池袋」が開業している。

また池袋駅西口では三菱地所による池袋駅西口地区再開発事業が計画されており、超高層ビル3棟が駅前に建設される予定となっている。

立教大学学習院大学川村学園女子大学東京音楽大学といった大学キャンパス、高級住宅街である目白、「おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園や慈眼寺、染井霊園など、様々な表情を持つエリアが存在する。

昭和40年度(1965年)の国勢調査の結果、日本一の人口密度の地方自治体になった(前回調査までの1位は東京都台東区)。2005年の国勢調査では、東京都中野区に次いで国内第二位となったが、2010年の調査で再び人口密度日本一となった。

 

 

中野区

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中野区

中野区(なかのく)は、東京都の特別区のひとつ。

東多摩郡の東半にあたる。東京23区の西部にあり、地形的には武蔵野台地の一角に位置する。東西に鉄道が数多く通り、渋谷区・新宿区・豊島区など大繁華街を有する区とも隣接しており、バスも渋谷駅・新宿駅池袋駅から区内を結ぶ路線があるなど利便性が高い。

産業は、江戸期には畑作を中心とする近郊農業と製粉、味噌・醤油醸造など食品工業が整備され、江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にあった。明治中期以降、都心からの転居者などにより人口が増加する。特に1923年の関東大震災以降は浅草から新井薬師周辺へ寺院の移転が始まり、住宅地化も急速に進んだ。戦前は東中野1丁目・2丁目界隈は帝国軍人の街として知られていた。昭和40年代までに農地はほとんど姿を消した。明治以降、工業化もある程度進んだが、企業城下町のような工業的発展はない。その他商業、オフィス街としての発展は第二次世界大戦以降それなりにあったが、道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、都心・副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化には至らなかった。明治以降、都心から移転してきた寺が多く、区に隣接する落合斎場との相乗効果もあって葬祭関連の産業もみられる。中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在する。また昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、現在も漫画・アニメーション製作は、隣接する杉並区と並んで盛んである。近年、中野坂上地区の再開発により超高層ビルも建ち、コンピュータ・ソフトウェア関連の会社も進出してきている。2012年には中野駅北口周辺(警察学校跡地)における再開発地域「中野四季の都市(なかのしきのまち)」が街びらきした。「囲町(かこいちょう)」「なかの新都心」などと呼ばれることがある。また中野坂上は「新宿副都心」と呼ばれている。

人口密度は20,479.15人/km2(2015年4月1日推計)で日本で第2位。なお、1位は東京都豊島区22,569.41人/km2。市では埼玉県蕨市13,986.69人/km2が最高。

2012年4月1日現在、道路率は12.8%で23区中21位。狭幅員道路率は84.0%で23区中最下位と、道路都市基盤が脆弱なのが中野区の特徴である。また、一人当たりの公園面積率は2012年4月1日現在1.33%で、23区中22位である。大きな川はなく、公園や緑地が少ない区であり、結果として人口密度が高くなっている。

新宿区

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新宿区(しんじゅくく)は、東京都の特別区のひとつ。東京都の都庁所在地である。

東京都に23ある特別区の一つであり、23区の中央やや西側に位置する。千代田区・港区・中央区の「都心3区」に新宿区と渋谷区を加えて「都心5区」と言われることがある。かつての35区が22区(のち23区)に移行した1947年に発足した区であり、行政機構としての歴史は比較的浅い。また、牛込、四谷、淀橋の3つの区が「寄り合い所帯」となって誕生した経緯から、個性に富んだ地域が区内に点在する。

1991年より東京都庁は同区に位置しており、自治体として見た場合は「東京都の都庁所在地」に該当する。ただし、新宿区を含む23特別区地方自治法において他の46道府県庁所在地とは異なる「特別地方公共団体」とされており、通常の市町村(普通地方公共団体)と同格に扱われていないため、国土地理院発行地図を始め都庁所在地の地名は慣例的に「旧東京市の後裔たる東京都区部の総称」として「東京」と表記されている。

古くは甲州街道の通り道として栄えた新宿駅周辺は日本有数の繁華街が形成されており、新宿駅は鉄道各路線のターミナルのため昼夜の人口増減が特に著しい。また新宿駅西口に位置する西新宿は東京でも有数のオフィス街であり、超高層ビルが林立している。新宿駅南部は新宿御苑明治神宮外苑があり緑が豊富である。また都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた北部の落合地区は住宅地となっている。本来、山の手とは新宿区内を中心とした高台(武蔵野台地)を指す。

甲州街道沿いの街、宿場の街として江戸時代以降から繁栄を見せた四谷地域(旧四谷区)。四谷見附から新宿駅東口の手前および信濃町駅周辺までが四谷地域に該当するため、警察署や消防署、公立学校の学区域も四谷地域の施設を利用することになる。

江戸時代にかけて田園の住宅地として都市開発され、明治時代には既に成熟した住宅地として機能してきた牛込地域(旧牛込区)。牛込地域は住居表示未実施がほとんどであり、戦災被害が比較的軽かったため古くからの町並みが再開発の手から逃れているなど、様々な面で都内を代表する保守的地域であると言える。神楽坂、市谷、早稲田と呼ばれる地名は全て牛込地域内である。

このほか、早稲田大学東京理科大学など大学・学校も多い。慶應義塾大学病院東京医科大学病院東京女子医科大学病院などの大学病院、国立国際医療研究センター戸山病院などの大病院も集積している。また、新宿区は都内で最も外国人登録者が多い区である。外国人のなかでもとりわけ、中国人と韓国人が多数居住している。[4] 特に大久保、大久保駅新大久保駅周辺から職安通りにはコリアタウンをはじめとする、外国人コミュニティが形成されている。新宿区の人口の1割が外国人とされる[5]。新宿区の発展に伴い、東京都庁防衛庁(現防衛省)などの官公庁も移転してきた。

このように、商業地と住宅地、歴史ある地名と再開発地域、多国籍といった、まさに大都市の光景を縮図にした性格を新宿区はもっている。

1970年辺りまでは、「若者の街」、「若者文化の流行の発信地」といえば、新宿だった。しかし、1973年に渋谷でPARCOの開店があり、日本における若者文化の歴史が大きく変化。その流れは「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」と移り変わっていく。

 

北区

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東京都北区


東京23区の北部に位置し、東西に約2.9km、南北に約9.3kmと南北に細長い形状で、面積は20.59平方キロメートルと東京23区中第11位。

北は荒川および荒川放水路を隔てて埼玉県川口市戸田市に、東は荒川区隅田川を隔てて足立区に、西は板橋区に、南は文京区、豊島区に接する。尚、区南端から台東区の区界までは100m程の近距離にある。

田端の大部分と中里の一部はJR山手線の内側に位置する。都県境に接しつつ山手線内のエリアを共有しているのは、23区では唯一である。

明治通り、環七通り(東京都道318号環状七号線)、環八通り(東京都道311号環状八号線)、中山道本郷通りという幹線道路が通っており、都心へのアクセスは比較的便利である。また、JRの駅数が23区中で最も多く(10駅)、区内のほとんどの住宅地が駅からの徒歩圏内にある。

北区は地理的に概ね、東北本線を境に南西側は武蔵野台地の北東端にあたり、北東側は荒川の沖積平野にある。

 

 

品川区

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品川区

2019年(令和元年)7月1日時点の統計で40万人を突破した。1964年(昭和39年)をピークに減少が続いた後、1998年(平成10年)から上昇へ転じた。

東京都区部では南寄りにあり、西は山の手台地、東は東京湾に面する。区域は東海道の旧品川宿を含む[3]。
・台地と低地があり、東部は東京湾東京港)に面する埋立地である。
・台地は目黒川の北に芝白金台、目黒川と立会川の間に目黒台、立会川の南には荏原台がある。どれも武蔵野台地の末端である。
・低地は品川地域や大井地域および川沿いに広がっている。