北区
東京23区の北部に位置し、東西に約2.9km、南北に約9.3kmと南北に細長い形状で、面積は20.59平方キロメートルと東京23区中第11位。
北は荒川および荒川放水路を隔てて埼玉県川口市、戸田市に、東は荒川区と隅田川を隔てて足立区に、西は板橋区に、南は文京区、豊島区に接する。尚、区南端から台東区の区界までは100m程の近距離にある。
田端の大部分と中里の一部はJR山手線の内側に位置する。都県境に接しつつ山手線内のエリアを共有しているのは、23区では唯一である。
明治通り、環七通り(東京都道318号環状七号線)、環八通り(東京都道311号環状八号線)、中山道、本郷通りという幹線道路が通っており、都心へのアクセスは比較的便利である。また、JRの駅数が23区中で最も多く(10駅)、区内のほとんどの住宅地が駅からの徒歩圏内にある。
北区は地理的に概ね、東北本線を境に南西側は武蔵野台地の北東端にあたり、北東側は荒川の沖積平野にある。
江東区
東京都の東部、隅田川と荒川に挟まれた位置にあり、東京湾に面している。
江戸時代に埋め立てが始められた地域であり、江戸の東端にあたり、深川地区(旧深川区)には富岡八幡宮をはじめ神社仏閣が数多くある。区内陸部は古くから住宅地および工業地域として、亀戸には鶴亀の亀戸天神社、また錦糸町駅南側は遊興地域として発展してきた(ただし、錦糸町駅およびその南部は首都高速7号小松川線まで墨田区である)。また、区周辺部、特に臨海副都心や南砂地区などは大規模マンションや医療・福祉施設の建設が相次いでいる。豊洲地区や夢の島地区には子供向け施設が充実し、近年はマンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。同様に、保育園も不足する事態に陥り、待機児童が増加している。
区内西部(東京市深川区に相当)は関東大震災および東京大空襲などを経て区画整理がされている。
板橋区
板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。人口約58万人。
おおむね旧板橋町、旧上板橋村、旧志村、旧赤塚村の4地域に分かれるが、他に南部(板橋)と北部(志村)の2地域分類、板橋・志村・赤塚の3地域分類、板橋・上板橋(常盤台)・志村・赤塚・高島平の5地域分類もよく使われる。板橋区において地域の分類は便宜的なものでしかなく、受け持つ行政機関によって異なるのが現状である。
例えば、通常の板橋地域(旧板橋町地域)と上板橋地域(旧上板橋村地域)とあわせて広義の板橋地域(板橋区南部地域)とすることも多い(警察、郵便、消防、土木、公園、水道、福祉など)。また、上板橋地域を常盤台地域と呼ぶ場合もある(都市計画など)。
また、通常の志村地域(旧志村地域)と赤塚地域(旧赤塚村地域)とあわせて広義の志村地域(板橋区北部地域)とすることもある(消防、土木、公園、水道など)。これは歴史的に、志村地域に設置された行政機関が赤塚地域も含めて担当することが多かったためである。
かつての徳丸ヶ原に相当する高島平、新河岸、三園を高島平地域として独立させる場合もある(都市計画など)。これらの地域の大半は旧赤塚村のため、通常は赤塚地域に含むが、志村地域に含む場合もある(福祉など)。逆に西台、中台、若木などの西台地域を赤塚地域に含むこともしばしばある(福祉など)。
さらに、志村地域の内、坂下、蓮根、東坂下、舟渡などの地域を蓮根地域あるいは坂下地域と呼ぶこともあり、西台地域を除く志村地域と合わせたり(福祉など)、高島平地域に含める場合もある。
赤塚地域は埼玉県南部とともに近郊の風景を残している。区では赤塚に支所を設け利便を図っている。しかし区が南北に分かれてしまい、行事も板橋区民祭り・板橋農業祭りと二本立てになっている。
杉並区
杉並区(すぎなみく)は、東京都の特別区のひとつ。
元来この地域は武蔵国多摩郡であり、江戸時代から明治・大正時代も多摩地域に属していた。地理的に東京都区部の扱いになったのは、1929年(昭和4年)の世界恐慌後に東京市へ編入されてからである。
旧東多摩郡西半にあたり、城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置する。面積は34.02平方キロメートルで、東京23区の中では8番目である。自然が豊富な、閑静な住宅地域として発展してきた。JR中央線沿線(高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪駅周辺など)を中心として、地元住民だけでなく区外からの来街者を想定した個性的な中小店舗群も集まっている。
東京都内の6区市と隣り合う。北は練馬区、東は中野区、東南でわずかに渋谷区、南は世田谷区と隣接。西側には武蔵野市と三鷹市が位置する。
地形的には武蔵野台地上にあり、全体的になだらかな高台地域。特に高台に沿って、古来より甲州街道、青梅街道が南北の区境近傍に東西に通っている。
足立区
足立区は、東京都の特別区のひとつ。
東京都区部(東京23区)の北東部に位置し、隅田川と荒川に挟まれた千住地区と、面積の大半を占める荒川以北の地区とに分かれている。かつては陸続きだったが大正時代に荒川放水路が建設されて分断された。
足立の地名は、大化の改新(645年)後に制定された地名「武蔵国足立郡」に由来する。現在の足立区から埼玉県北部にまたがる広大な地域で、さいたま市大宮付近に中央政庁があったという。
荒川の南に位置する千住地区は、江戸時代には日光街道と奥州街道の宿場町「千住宿」であり、古くから賑わっていた。現在はターミナル駅である北千住駅を中心として区内随一の繁華街となっている。比較的静かだった東口も、東京電機大学が神田から移転してきたことで活気がでてきた。荒川の北では竹ノ塚が商業の中心地となっていたが、隣の西新井駅前で大規模な再開発が行われて新しい商業施設が開業した。